カレェちゃん

ヤンゴンにいたカレェちゃんです。最近は働いています。賃金労働に反対している。

一人で食べるのは楽しくて怖い

食べることは社会的な行為である。

食べるという行為の周りで他者との交わりの場が作られる。お腹を満たす/味料の理を楽しむことは「食べること」の大事な目的の一つだが、全てではない。またコミュニケーションは「食べること」の大事な目的の一つである。そのため友人とご飯を食べてこれ以上食べたら苦しくなるという前に食事をやめることはとても簡単にできるし、目の前にお菓子の大袋が出されていてもそれを一人占めして全部食べるということもしない。

でも一人でご飯を食べる時、食事は私にとってあまりにも非社会的行為だ。人の目の届かないところで好きなものを、好きな時に好きな量を食べていい!スーパーで買うたくさんのお菓子やお惣菜を、私は一週間かけて食べてもいいし、一日で全部食べ切ってもいい。スーパーにいる私以外の誰にもそれを知る方法はない。その事実が私をどれだけ安心させ、興奮させるか。食事の自由を手に入れたとき、私はとても野蛮になる。楽しさ、安心感、不安を緩和する行為として一人の時の食事はある。食べ過ぎている、健康に悪い、明日後悔するという理性の声はとても小さく私の中で語りかけているが全く聞く耳を持たれず困り切ってしまっている。

私は「食事の自由」を「全てのことからへの自由」だとわざと勘違いしている。自由を使っていると感じたいのだと思う。

私の食への執着は年齢が一桁台の頃からあると思う。両親が自営業で居酒屋をやっていたから、夜は姉と弟と家の中の無法地帯で過ごした。夜に母がいないのがさみしくて、反動で母のいない自由を思い切り使ってやろうとしていたのかもしれない。自由の行使の一つが夜食を食べることだった。基本毎日食べた。子供ができる料理なので目玉焼きとか、冷凍のそばめしをチンして食べるとか、カップ麺とかそんな感じだった。(とろけるチーズをレンジでチンして溶けてる部分とカリカリになった部分を醤油をつけて食べるのにハマっていた。溶けてる部分がモチモチでうまい)暇だから食べるみたいな感じもあり、その頃から食べることが娯楽になっていたと思う。

中学校に入ると自分の体形が気になりだし、ダイエットをするようになった。夜ご飯はずっとプレーンヨーグルトにはちみつ・きなこ・フルーツグラノーラをかけて、お腹いっぱい食べた。大体ブルガリアヨーグルトの半分が一食分だった。この味がめちゃくちゃ好きで毎日食べても飽きなかった。その食事のおかげで標準体型ぐらいの時もあった。

中学三年の夏に友達とみんなでダイエットをしようと計画した。みんなで放課後友達の家に行き、レッグマジックという足を左右に開閉して内太ももやお尻に効かせるダイエット器具を、みんなで励ましあいながらやった。楽しかった。食事もあんまり食べないようにしていたらダイエットは一時成功した。友達にも足が細くなったと言われ、自分でも穿いたことがなかった白いショートパンツを穿けるようになって嬉しかった。でもその期間はすぐに終わって、夏の中盤辺りから友達に隠れてたくさん食べるようになった。最初はダイエットの成功体験があったから、食べてもすぐに戻せると思っていたが、過食が止められず食事は完全に隠れてするもの、非社会的なものになった。社会を拒絶してご飯を食べ始めると、それ以外の時間も社会と繋がることが苦しくなってきた。自分の中の辻褄が合わなくなる感じ。

私の昔からの友達は本当に優しく思いやりのある子たちで、一時期不機嫌にずっと黙っている私を見放さずに友達を続けてくれたのは本当に感謝してもしきれない。今でも気持ちが不安定になっていると過食をたくさんしてしまい(過食が先か不安が先かはよく分からない)、友達付き合いができない時期がある。高校も大学もだんだん精神的に不安定になり会わなくなっていく人が多かった。会って話したい人はたくさんいるのに、過食のせいで自信がなくて会えない。

過食は14歳のことからしているから、もう11年もそんな生活をしている。波はあるものの全くしない年なんてない。やめたいけどやめられないのは、たぶん依存してしまっているんだと思う。何かの依存症ってたぶんこんな感じなんだろうなと思う。

実は12月末あたりから、連れ合いと一緒に住むことになった。それはつまり人と一緒にご飯を食べるようになるということだ。完全に過食が治るということはないだろうけど(過食はやろうと思えばいくらでもこっそりできてしまう)、今みたいに食事のやめ時がわからなくて食べ続けることは少なくなると思う。前に二人で住んだときは、はじめ食事が楽しすぎてお互い大盛りのご飯を食べまくってピーク体重になったこともあったけど、そのあと節制してあまり苦しい思いをせず健康的な体重に戻ったことがあった。今回もそんな感じで、今がピーク体重タイくらいなので、人とご飯を食べて、一人で考えなくてもいいようなことを忘れたい。