カレェちゃん

ヤンゴンにいたカレェちゃんです。最近は働いています。賃金労働に反対している。

2022/04/26

時間が過ぎていくのがこわい、という感覚が小さい頃からあります。

私には制御できない、絶対的なものなので、常に無力感・不安を感じています。

時間への漠然とした不安から「何をやっても無駄」と思う一方、反対に「何か有意義なことをしなければいけない」という落ち着かなさを常に抱えています。

「何をやっても無駄」という気持ちが強い夜は、何もする気になれず、何度も更新したTwitterやインスタやYouTubeを見続けます。夕食の時間(=意味のある時間)を引き伸ばすために、満腹なのに食べ続けるということもします。この2つの行動は私の生活の基礎になっていて、これをやらない日のほうが少ないです。これをやると、また何も出来なかったと悲しくなると同時に、時間をなんとかやり過ごせたぞと安心するのです。

「有意義なことをしなければ」という気持ちが強い日でも、何をすればいいのかわからないし、元気もないので結局TwitterなどのSNSをして時間をやり過ごします。仕事終わりは疲れているし頭を休めればいいのに、少しでも何もしていなかったり、うたた寝をしてしまうと何か大事なもの(時間)を逃してしまうような気がして、ゆっくり休むということが苦手です。「有意義なこと」への焦燥感からか、同時に2つ3つのことをやるのが普通で、食事中にスマホは当たり前で、前に自分で笑ってしまったのは、TVを点けながらラジオを聴いてTwitterを見て、歯を磨きながらストレッチをしていました。流石にやりすぎだと気付いて、最近は同時にやるのはせめて2つまでにしようと決めています。

休みの日は映画館で映画を一本見終わって、外の世界が昼過ぎから夕方に変わっていると、時間をうまくやり過ごせたぞと安心します。映画館は座っていれば勝手に時間が過ぎてくれるのでとても落ち着きます。しかも自分以外の人もそうやって時間を過ごしていると思うとすごく安心できるのです。

 

時間への恐怖や無力感は、プラスに働くこともあります。約束の時間に遅れる人に私は怒りを抱いたことがないと思います。何の連絡もないと心配したりとかはするし、コンサートや映画など開始時間が決まっている時は別ですが、ただの遊びの待ち合わせで遅れてきた人に怒ったことはないです。わかる、時間っていつの間にか過ぎてるよね、時間管理って難しいよね、と思って終わりです。

ただ、私が時間に遅れることもしょうがないことと思っているので、私もよく時間に遅れました。最近は努力して改善して来ましたが、小学生〜大学生の頃は時間を守らないのは当然で、しょうがないじゃんと諦めていました。時間っていつのまにか過ぎてるし、過ぎるの早い、あと未来の不確定な自分の行動を逆算するのってすごく難しいじゃんと。乗ろうと思ってた電車の出発時間にはまだ家にいるし、友達とのおしゃべりが楽しすぎてあと少しあと少し引き伸ばしていたら、迎えに来てくれていたお母さんを怒らせたり。

時間に対する約束なんて、何でみんなできるんだろうと不思議でした。実態のない不確定なものを相手に予定通り動くなんて、しかもそれを他人に絶対やるからねと宣言するなんて、よくできるなと(私は「約束を守る」ということの責任やその重大さもあまりわからないです)。

最近は仕事をしている都合上、時間を守るということが徐々に体に馴染んできました。漠然とした大きな存在に何となく慣れてきて、接し方も分かってきたという感じです。ただ冒頭の不安に起因する習慣は15歳の頃から続いていて、私はずっと不規則な食事や生活を続けています。この不安がなくなる時は来るのでしょうか。